特選!!　米朝落語全集　第二十六集

1. こぶ弁慶
2. 犬の目

こぶ弁慶

本名題は「伊勢参宮神之賑」と物々しいが、俗に言う「東の旅」シリーズの一編。大阪を出て「煮売屋」「七度狐」などがあって、伊勢参宮。帰路は「桑名船」「矢橋船」、そしてこの「こぶ弁慶」から「三十石」へとつながって、大阪へめでたく帰着となる。
この落語は、大津の宿にかかったところから始まるが、宿屋へ上がるまでの部分を「宿屋町」として独立させてやることもある。宿屋で皆が、各自の好きなもの、嫌いなものの言い合いとなる。ここ迄は、いろいろな落語にもよく出てくる訳だが、突如、土が好物だという変な男が現われて、宿屋の古い壁土を食べる。後半、舞台は京都に移って、いよいよ「こぶ弁慶」の件になると、旅シリーズの主人公、喜六、清八の二人組はどこかへ消えてしまう。
この部分は、初代笑福亭吾竹の作といわれている。吾竹は文政・天保（一八一八〜四三）の頃、教徒で活躍した咄家である。落語の登場人物の住所など、何処でもいいのだが、この壁土を食って、右の肩にこぶ弁慶をこしらえた男は、綾小路の麸屋町と、一見アヤフヤだが、実はデタラメではない。今の新京極の中ほどにある蛸薬師如来へ日参させる必要があって、近くに設定したのであろう。これも上方落語の合理癖のあらわれだが、吾竹が京都の地理に明るかったからでもある。
武蔵坊弁慶の略歴は、この落語の終わりの方で、弁慶自身、芝居がかりで名乗る。（そういえば、同じく吾竹作の「景清」（第十四集所収）でも「わが名が聞きたくば名のって聞かせん。耳をさらえてよく承れ」と囃子にのって芝居がかりで名乗る。同じパターンだ）
ところで、この弁慶の絵姿を描いたのが、浮世又平。元禄の頃、大津の追分・三井寺辺りで、旅人の土産物として人気のあった大津絵を始めて書いた人、とされている。近松門左衛門作の「傾城反魂香」、歌舞伎や浄瑠璃でお馴染みの吃又。口が不自由なので、師匠から土佐の苗字を許してもらえず、死を決する。最後に手水鉢に描いた自画像が、必死の筆勢のため、尺余の石を突きぬける、という奇跡が起る。それほどの名人だから、描いた弁慶も蘇るであろう、という発想。
「夜のコブは見逃せん」という下げは、（よるの昆布）→（よろこぶ）という言葉の洒落で、いまでも水商売の店では残っていて、出された昆布を一寸つまんで食べる。

犬の目

ＳＦがかった小品だが、なんと原話は安永二年（一七七三）閏三月刊の江戸板『聞上手』という小咄集の第三編にある「眼玉」だという考証がある。その咄を紹介しておこう。
長崎より紅毛《おらんだ》流の目医者下り、奇妙の療治をして殊の外はやる。ある人来りて療治をたのむ。医者様子を見て「これは目玉をくり出して洗って進ずれば、元のやうによく成ます。少しもいたむ事ではござらぬ」と匕《さじ》にてまぶたを動かして、目の玉をくりいだし、病人をば寝かしおき、かの目玉を薬にて能《よく》々洗ひ、縁側へ出してかわかして置きける間に、鳶がさらって持ってゆく。「これは大事」と思へどせん方なく、庭に寝ている犬の目玉を抜いてとり、かの病人の目へ入れてやりければ、「これは奇妙、よう見えまする」と殊の外悦び、礼を言うて帰りぬ。その後かの人、医者の方へ来り、「先日は忝《かたじけの》うござりました。お蔭で目はようござりますが、替った事で、紙屑拾いをみますると、どふも吠へとふてなりませぬ」
戦後、橘ノ円都がよくやっていたのを、米朝が聞き覚えて、まとめ直したのが今の形である。どこからでも笑いがとれるし、自分なりに工夫したギャグも使えるので、演り手が多い。発想はもともと極めて落語的で荒唐無稽であるが、医者は至極もっともらしい態度で対応しないと、面白くない。
人間と犬とのつきあいは古い。考古学的には約一万二千年頃までさかのぼれるらしい。人類が、獣を家畜として飼い馴らすしたのは、やはりイヌが最初である。それも、食用としてではなく、野営における夜の見張番、極寒地の犬ゾリ、牧羊の管理、狩猟用などに利用していた。警察犬、軍用犬としても、すでに古代ギリシア、ローマで行われていたという。ペットとしてよりも、もっぱら実用的な面で人間とかかわりあって来た。近年は盲導犬や麻薬の摘発などで活躍している。
最近、ヒヒの肝臓を人間に移植することが行われた。まだ、犬の目を人間に、という研究は進められていないようだ。必ずしも不可能でないかも知れない。
犬の目でなく、人間の目をもらった男の話が、落語にはちゃんとある。「景清」である。これは平家の武士、悪七兵衛景清が、われとわが手で両眼をくり抜き、清水寺へ奉納したのを、月日が経って干からびていたので、三日間塩水につけてもどして、使われた。