長編小説「15少年物語」（6）
金剛丸に小鳥が止まってから、10日目の朝だった。 晴天だったが、あいかわらず風が強く、波も高かった。
デッキに立って、心配そうに海を見つめていた成哲は、遠くになにか浮かんでいるのを発見した。はじめのうちは波間にちらちらしていたが、だんだん大きくなってくる。じっと目をこらしているうちに、それが山の峰であることを知った。
「あっ、島だ」
成哲は思わず歓声をあげた。その声が船室にも聞こえて、みな飛びだして来た。
成哲が指さす方向に目をやったかれらは、こおどりして喜んだ。峰はくっきりと輪郭をえがいて、金剛丸に迫って来ていた。
1ヵ月このかた、大波と黒い雲と太い雨あしばかり見てきたかれらにとって、それは故郷の山のようになつかしかった。
成哲は涙が出るほどうれしかった。みなが苦しむ姿を見ても、手のうちようがなく、無力な自分を嘆いていたかれである。
しかし、船は島の方に向かわなかった。放っておけば、また遠くに押し流されてしまうだろう。
「おい、みんな、ろをこげよ」
万洙はあわてて、ともの方へ走って行った。
成哲と茂漢ははじかれたように、ろの方へ飛んで行った。徳善やほかの少年たちもそれにつづいた。
かれらは力いっぱいろをこぎ、万洙はかじを強く握った。金剛丸はゆっくりと向きを変え、島の西の岸べへ向かって進んだ。
最初は1つしか見えなかった峰が、やがていくつものとがった頂に分かれて見え、ついに島全体が姿をあらわした。近づくにつれて、地形がはっきりしてくる。島は大小の岩でおおわれ、木立がおい茂っていた。
「島だ。島・・・」
「助かったぞ」
「船よ、早く走れ、早く」
小さい子らはかん高い叫び声をあげながら、手をうち、足を踏みならした。
万洙はかたく口を結んで、しっかりとかじを取り、少年たちは交替でエイヤッ、エイヤッとろをこいだ。
島と船のへだたりは、だんだんせばまった。船はさっきより高く持ちあげられては、波の底に引きずりこまれる。波は岩や島を根こそぎにせんばかりに荒れ狂い、しぶきが島へ接近する金剛丸に襲いかかった。
（船がこわれないように、島につけなければ）
万洙は全身の神経をかじに集中した。
ろを達柱に渡した茂漢は、落ちつかない気持で岸べを見つめていた。岩におおわれた荒いそにうちあげれば、ひとたまりもなく難破するだろう。
みんなを乗せて帰る船をこわしてはいけない、という思いで、茂漢の頭はいっぱいになった。父と船主の顔が目の前にちらついた。
（絶対に船をこわしちゃいけないんだ）
かれは上着を脱ぎ捨てた。そして、「船を岸につけるなよっ」と言い残すと、いかり綱の端をつかんで海に飛びこみ、浮かんだり沈んだりしながら、島に向かって泳いで行った。
手に汗を握って見守っていた子どもたちは、黒い頭が見えるたびに、胸をなでおろした。
高く突きでた岩の前で頭が浮かんだ。綱を岩にかけるつもりだなと思って、万洙は、かじを少し左にまわした。船は方向を変えはじめた。だが、風に乗っておし流された。
茂漢は岩の上にはいあがり、綱をかけようとしたが、やりそこなって海にすべり落ち、姿が見えなくなった。子どもたちは悲鳴をあげ、息を殺していそべを見つめていると、頭が浮かびあがった。ドッと歓声があがり、いかり綱がぴんと張った。でも綱はまだ岩にかかっていなかった。
茂漢が綱をゆわえようとした瞬間、波が岩に荒々しくうちつけて、高いしぶきをあげた。茂漢は足をすくわれて、またどす黒い波にのまれた。
「あっ」
子どもたちがかたずをのんで一点に目をこらしていたとき、誰かが海に飛びこんだ。
成哲だった。茂漢が端をつかんで行ったいかり綱をわきの下にはさんで、水中に躍りこんだのだ。
万洙は船を再び島の正面に向けようとして、かじをまわしたが、すでに船は、岸からかなり遠ざかっていた。2人の友を気づかって、万洙はまっさおになった。
「成哲」
「茂漢」
「兄ちゃーん」
みんなは足ずりし、のどをからして叫んだ。その声は激しい波の音にかき消された。
万洙は、茂漢を救うため成哲より先に、海に飛びこまなかったことを悔いた。なぜ成哲にかじをまかせて、飛びこまなかったのだろうか。でもいまとなっては、船や子どもたちを見捨てて、自分まで海に飛びこむわけにいかなかった。
万洙は2人の名を呼びながら泣いた。かれらを失えば、この恐ろしい嵐の中でどう生きていけるのだ。
「あっ、見えたっ」
子どもたちがいっせいに叫んだ。見ると、黒い頭が2つ、高く突きでた岩のかげにぽっかりと浮かんでいた。
「その立岩に巻きつけろっ」
みんな大きな声でどなった。
成哲はいかり綱の端をつかんで、すばやく岩を一まわりしてよじのぼった。綱は岩に巻きつけられた。1ヵ月近くも烈風に追いまくられ、矢のように走りつづけていた金剛丸は、ようやく止まってぐっと向きを変えた。一瞬、ド力ーンと大きな音がして、子どもたちは前にのめった。しかし2人の無事な姿を見たうれしさに、そんなことは気にもとめず、歓声をあげた。
「わーい、助かったぞー」
成哲はふらつく足を踏みしめて茂漢に近寄り、肩を抱いた。茂漢はぼんやりした表情で唇を動かしたが、言葉にならなかった。顔はあおざめ、唇がぶるぶるふるえていた。
成哲は、重心を失って倒れそうになる茂漢をかかえて陸にのぼり、岩の上に寝かせた。
茂漢は身動き1つしなかった。成哲も、大きなおもしが両肩にのしかかり、関節がばらばらになるような気がした。全身がぐったりして、指一本動かすのもおっくうだった。かれは岩の上に座るなり、棒のように倒れた。
一方、船の上では万洙が、岩につないであるいかり綱をつかんで叫んだ。
「みんなこっちへ来い。船を少しでも島に近づけるんだ」
少年たちは力いっぱい綱を引っ張った。しかし暗礁に乗りあげたのか、船は動かなかった。綱をそのまま張っておくほかなかった。
このとき、背負い袋を取りに船室へ行った永洙が、駆け戻ってわめいた。
「船が割れちゃったよ」
「このほら吹きめ。船も割れるのか」
文基が馬鹿にしたように言った。
「うそだと思ったら行ってみろ。水がドクドク入ってくるんだぞ」
永沫も負けようとしなかつた。
「なにが割れたんだ」
万洙がやって来ながら、せきこんでたずねた。
「永洙がね、船が割れたってうそつくんだよ」
「うそなもんか。ほんとうなんだ」
永洙は目をむいて言った。
ぎくりとした万洙は、永洙と一緒に船室に駆けおりた。デッキにいる子たちもあとにつづいた。船底から海水がドクドク流れこんでいた。
「大変だ。早く荷物を上に運びだせ」
万洙は、散らばっている食器を箱につめてデッキに運び、つづけて釜を3つ持ちだした。達柱はなにから先に運んだものかと、まごまごしていた。
「達柱、ぐずぐずしないで早くやれよ」
万洙にどやされた達柱は、眉をしかめて水おけに手をかけたが、重くてとても持ちあげられそうになかった。
「どくんだ、能なしのノッポめ。お前はこれを持って行け」
徳善がたこつぼを渡した。
「誰かおれの箱めがねと、風呂敷包みを見なかったか」
基昌がうろうろしながら、聞いてまわった。
「自分のものだけ運ぶつもりなのか。これを持って行けよ」
俊浩が、やすの束と斧を指さした。基昌はまだ自分の持物を探しているらしく、きょろきょろしながら俊浩に近寄った。
「早く運んで行って、また来るんだぞ」
「この針金の束を、かつがせてくれよ」
京三が俊浩に背中を向けて言った。
自分の背負い袋がなくなった、とべそをかいている永洙に、勇日がシャベルを押しつけた。
「なんて泣き虫だ、お前は。おれが上に運んでおいたから安心して、これを持って行きな」
船室の荷物はほとんどデッキに移され、穀物だわらと水おけが残った。船室には水がかなり浸水していた。ほどなく船倉やデッキも水にひたされ、船が沈没するのは目に見えていた。大きい子は島へ泳いで行くとしても、小さい子や女の子らが問題だった。
荷物を運んでいた万洙が言った。
「荷物よりか、チビたちを先に島へ送ろう」
「それがいい」
昌植が賛成した。
波は休みなくおし寄せてはいそべにうち返し、船室はどんどん水かさを増していった。
万洙はデッキで、途方にくれ、右往左往している子どもたちを指図した。
「チビと女の子から先に島へ渡れ。お前たち、手ぶらで行くんだ。荷物はおれたちが運んでやる。さあ、一列にならんで、この綱をつかんでゆっくり渡るんだぞ。泳げるからって放しちゃだめだ。そんなことしたら死んじまうからな。わかったか」
小さい子と女の子らは、綱をつかんで1人ひとり用心深くおりた。万洙らは傾くデッキに立って、島に近づくかれらを見守った。
「おれたちも早くおりなきゃ」
昌植に注意されて、万洙はわれにかえった。
「そうだ、早くおりよう」
少年たちはみな荷物をかついでいた。自分の荷物だけでなく、小さい子や女の子のもの、そして水おけ、やす、斧、シャベルなども持っていた。たこつぼや針金の束を、腰にぶらさげた子もいれば、油紙に包んだマッチを、持ちあげて渡る子もいた。
岩かげの草むらにぐったりと倒れていた成哲は、船がこわれたと騒ぐ子どもたちの声にびっくりして、はね起きた。見ると船はかなり沈み、荷物をかついだ子どもたちが綱を頼りに渡って来ている。1つでもよけい荷物を運びださなければ、という一念から、成哲は海に飛びこんだ。
「危いぞ。こっちへ来るなっ」
万洙と昌植が両手を口にあてて叫んだ。成哲はそれには耳もかさず泳いだ。そして船にはいあがるなり、せきこんで聞いた。
「穴のあいたところを、板かなんかでふさげないのか」
「穴があいたんじゃなくて、船の底が割れちゃったんだ」
万洙はしょげこんで答えた。
船室に駆けおりてみると、水が足首までつかり、それもどんどん増えていく。
成哲は胸がひきつった。手さぐりすると、大きな割れ目から水が流れこんでいた。
それはとうていふさぎようがなかった。目の前が真っ暗になって、成哲はぼうぜんと立ちつくした。
万洙が上から叫んだ。
「なにをしてるんだ。早くあがって来いよ。もうだめだ。船が沈む前に早く出て行こう」
この浸水では沈没するほかないが、それでも万洙の一言を聞くと、脳天に強い一撃を受けたように頭がくらくらした。
（このまま沈んでしまうというのか）
成哲は歩く気力を失って、ぼんやりと船室を見まわした。水中になにか光るものがあった。近づいて見ると、小石やアワビ、貝がらなどが落ちていた。アル島で拾ったものを捨てたらしい。
「せっかく持って来たのに」
成哲は急いで拾い集めて、デッキに戻った。
「船が完全にこわれちゃったな。どうしてこんなことになったんだろう」
「さつきいかり綱を岩に結びつけるとき、大きな音がしたけど、そのときやられたらしいんだ」
「荷物は全部島に運んだろうな」
成哲に聞かれて、万洙はどぎまぎした。船室にはまだ大事なものが残っているが、それを運ぶため手間どっては、人命を失う恐れがあった。島には泉があるだろうし、魚やワカメを取って食いつなげばよい。網もあとで取って来られる。隊長の成哲によけいな心配をかけることはないと、万洙は考えた。
「運べるものはほとんど運んだよ。もうこの釜だけ持って行けばいいんだから、心配するなよ。これはおれたちが持って行く」
「じゃ、早くおりよう」
3つの釜も無事に島に運ばれた。
少年たちは、これで一難去ったと思うと、急に疲れが出た。でも誰1人休もうとせず、沈んでゆく金剛丸を涙ぐんで見守った。
船から運ばれた荷物を見まわしていた成哲が、驚いたように叫んだ。
「荷物は全部でこれっきりか」
問いただすような視線を受けて、万洙は顔がほてった。
「穀物だわらもないし、水おけもないじゃないか。それに網はどこにあるんだ」
誰も答える者がなかった。ちょっとまをおいて、万洗か消え入るような声で言った。
「船室にそのままあるんだ」
「なんだって？ 水やごはんを食べなくても、生きてゆけると思うのか。魚を取るにも、網がいるじゃないか。いつまでこの島にいるかわからないのに、穀物を持って来ないでどうする気なんだ。いや、おれが悪かった。さっき船の中をまわったとき、船がこわれたことばかり気にして、肝心なことに注意しなかったんだ。でもお前たちはまた、なんで黙ってたんだ」
成哲は興奮していた。重苦しい雰囲気に気がめいった茂英は、兄をそっと揺り起こした。茂漢はびくっとして起きあがった。
自分をとりかこんでいる少年や荷物を見て、正気をとり戻したかれは、なにげなく金剛丸を見やった。そのとたん、胸がつぶれそうになった。船が沈みかけているのだ。
「船がこわれたのか」
茂漢ははじかれたように立ちあがったが、誰も答えなかった。妹のむせび泣く声から、夢うつつに聞いた難破のことが、現実であることを悟った。よろめくように水うちぎわに走り寄った茂漢は、金剛丸の難破を確かめて、力なく引き返した。
成哲は倒れそうになるかれを抱きかかえたが、茂漢はへなへなと座りこんでしまった。
「もう家にも帰れなくなった。なにもかもおしまいだ」
茂漢は声をたてて泣いた。茂英も両手で顔をおおって、しゃくりあげた。
端の方で泣きべそをかいていた永洙が、とうとう「母ちゃん、母ちゃん」と泣き声をあげたので、文基や勇日も泣きだした。沈む船をぼんやりながめていた年上の子たちも、しゃくりあげた。
成哲と万洙のほおにも、涙がつたっていた。
船は沈んで帆柱だけ見えた。みなをなぐさめ元気づけなければと思ったが、成哲は胸がいっぱいになって、なにも言えなかった。涙がとめどなくこぼれ落ちた。
2羽の力モメが帆柱の上を飛びかっていた。風に吹かれて木の葉がハ夕ハ夕と揺れる。
成哲は気を取り直して、涙をぬぐった。
「みんな涙をふけよ。いくら泣いたってしかたがない。なんとか生きてゆけるだろう。通りかかる船に助けてもらえるかもしれないしな」
少年たちは1人、2人と泣きやんだ。
「さっきは腹を立てて悪かった。みんな疲れてるだろうけど、どうしてもしなければならないことがある。船に残ってる穀物と水おけ、網はどれも大切だから、もぐりのうまい者たちが引きあげて来るんだ。穀物のたわらが3俵と水おけが3つ、それに網と帆もあるから、8人なら持ちだせるだろう」
「どうやって引きあげるんだい」
達柱が聞いた。
「ここに綱があるだろう。この端を腰に結んで船室にもぐりこむんだ。荷物をしっかりしばったあと綱を引いて合図すれば、ここで引っ張るんだ。船室から出るとき、引っかからないよう注意したら、大丈夫だと思うよ」
「それはいい思いつきだ。それなら8人はいらないよ。おれ2回もぐるからな」
昌植がこう言うと、「それじゃおれも2回行くよ」と、負けん気の達柱が言った。万洙も引っこんでいなかった。
「じゃ、おれたち4人でやろう。おれだってお前たちぐらいはもぐれるぜ」
「よし、おれが先に帆をはずして来る」
成哲はすばやく腰に綱を巻きつけた。
「帆はおれにまかせて、お前はほかのものを引きあげろよ」
万殊が言い終わらないうちに、成哲はもう海に飛びこんでいた。波が激しくうち寄せては、水しぶきをあげた。
沈没した金剛丸に泳ぎついた成哲は、水面に突きでた帆柱を片手でつかんで、ふり返った。岸べで手を振って励ましてくれる仲間に、手を振ってみせた。成哲の姿が水中に消えた。岸べの少年たちは、綱の片端をつかんで帆柱を見つめた。もう合図がありそうなのに、なんの気配もなかった。成哲がもぐるとき、鼻をつまんで時間をはかっていた京三は、息苦しくなって手を放し、深く息を吸いこんだ。
「どうしたんだろう」
「こっちで先に合図してみようか」
こんなささやきが交わされたとき、合図があった。手に汗を握っていた子どもたちは、いっせいに綱を引っ張った。綱がずるずると引き寄せられ、黒い頭と一緒にたばねた帆が浮かびあがった。みな歓声をあげた。成哲が岸につくと、子どもたちは綱をほどいて帆を引きあげた。
「よせと言ったのに、結局隊長が帆をはずして来たわけだ」
「合図がないので、すごく心配したよ」
「一休みしろよ。今度はおれが行って来る」
昌植が、成哲の腰の綱をほどいて、自分の腰に結んだ。
こうして船に残っていた帆や穀物、水おけ、網が成哲ら4人の手で島に運ばれた。
いつしか太陽は、水平線の向こうに沈もうとしていた。子どもたちは、帆を三等分して草原に敷き、ぬれた穀物を干した。網も草原に広げた。
「みんなずいぶん苦労したな。でも15人が全部無事に島にあがったからほんとうによかったよ。これからも助け船にあうまで、強く団結して苦しみも楽しみも、一緒にしよう。絶対に自分勝手な行動をしてはいけない。いいかい」
異議をはさむ者は1人もいなかった。
「じゃ、火をたいて服を乾かそう。そして、夕食をつくって食べよう。暗くなる前に寝床もこしらえなくちゃ」
成哲は元気よく立ちあがる子たちを、満足そうにながめた。
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