長編小説「15少年物語」（33）
翌朝、茂英は万洙からマッチを分けてもらい成哲に送られてほら穴へ向かった。成哲は帰りにそり用の材木を切って来るつもりで、斧を腰にさげた。
ほら穴についてみると、あたりはなんとなくひっそりしていた。成哲は茂英につづいて中へ入ったが、暗くてなにも見えなかった。
「あっ茂英、お前どこへ行ってたんだ。茂漢に会わなかったのか」
達柱の驚いたような声が暗闇にひびいた。
「会わなかったわ。兄ちゃんはどこへ行ったの」
「お前を探しに山へ行ったんだ」
「じゃ、おれが帰りに茂漢に会って、話してやるよ」
成哲はこう言い残して、ほら穴を出た。
裏手の山で手ごろな木を切って、徳善峰の中腹まで来たとき、雑木林に人影がちらついた。見ると、茂漢がとぼとぼ歩いて来ていた。
「茂漢」
茂漢は立ち止まって、成哲の笑顔を穴のあくほど見つめた。
「茂英を探してるんだろ」
成哲がにこっとして近づくと、茂漢はうなだれた。
「早く帰れよ。茂英が待ってるから」
「なんだって」
茂漢がさっと顔をあげた。
「茂英が生きてるのか」
「ハッハッハ、じゃ死んだと思ったのか。あのひどいしけにも敗けなかったのに、そうやすやすと死ぬわけがないよ」
「どうしたわけなのか、くわしく話してくれよ」
茂漢は成哲の手を握った。
「詳しいことは茂英に聞くんだな。のろし台へ火種を取りに行く途中、吹きだまりにはまって、もう少しで死ぬところだったんだ」
「じゃ、お前が茂英を・・・」
茂漢の唇がふるえ、目に涙が光っていた。
「茂英が待ってるから、早く帰れよ」
「ありがとう」
成哲は、急いで山をおりる茂漢の後ろ姿を、みちたりた気持で見送った。
（二人とも、どんなに喜ぶことだろう）
このとき、木立がゆさゆさ揺れて、大きなシロクマがぬっとあらわれた。クマは茂漢の姿を見てあとを追いはじめた。
成哲はびっくりして叫んだ。
「クマだっ。茂漢、逃げろー」
あわただしい叫びに、うしろをふり向いた茂漢は、悲鳴をあげて逃げだした。
成哲は茂漢を救わねばと、地面に転がっている石ころを拾って、力まかせに投げた。石はクマのしりに命中した。驚いてふり向いたシロクマが、今度は成哲の方に向かって走って来た。茂漢は成哲を気づかって立ち止まった。成哲は一人でも助からなくてはと、逃げながら叫んだ。
「茂漢、早く逃げろっ、早く」
茂漢は茂みに姿を消した。シロクマは木の枝を折りながら突進して来た。成哲は必死になって駆けた。引っ越しの日の火攻めの仕返しをする気か、クマはすごい勢いで追って来る。
肩の丸太が逃げるのにじゃまで投げ捨てると、クマはそれを前足で拾ってにおいをかいだ。その隙に、成哲はかなり遠くまで逃げた。食えないものと知ったシロクマは、丸太を放り投げて、またあとを追って来た。
成哲は吹きだまりにはまったり、岩角につまずいて転んだりしながら、無我夢中で走った。しかし、頭をまっすぐもたげて突進して来るシロクマの速力にはかなわなかった。成哲はいまにもかかとを食いつかれそうで、気が気でなかった。雪はますます深くなり、道も険しくなって息切れがした。
このままでは、シロクマのえじきになるほかなかった。
ふと、さっき丸太を投げ捨てたとき、クマがそれに気をとられたことが頭をかすめた。ポケットに手を突 っこむと、ハトのえさにするゴヨウマツの実の入った袋があったので投げつけた。クマはそれを前足で拾い、ちょっとながめてから袋を破って食べはじめた。
いくらか時間をかせいだものの、松の実を食べ終えたクマは、また追いかけて来た。ポケットには数本の釘と手帳しかなかった。雪の上に釘を落としたところで、クマの目にはつかないだろうし、手帳を投げても効果があるかどうか難問だった。しかもその手帳は、船が難破して以来の出来事をくわしく書いた貴重な日記なのだ。だが背に腹は帰られなかった。また追いついたクマに手帳を投げると、案の定立ち止まって、それをいじくりまわした。
成哲は歯を食いしばって林を抜けて山の斜面にさしかかった。中腹まで行けば、大きなニレの木に登れるのだが、けだものも人間みたいにしゃべったり、学校に通って字を読んだりする。あのクマも日記を読んだら、その間に丸太小屋まで逃げられるのに・・・。成哲はこんなとてつもないことを考えながら、山を駆け登った。クマはすぐうしろに追っていた。上り坂ではスピードがもっと出るのだろう。
成哲は本能的にポケットの釘をつかんで投げたが、クマは脇目もふらずぐんぐん追い迫って来た。
（もうおしまいだ）
成哲は全身の力が抜け、目の前が真っ暗になった。クマは真っ赤な舌を出して、今にも頭からかぶりつきそうな勢いである。
あの激しいしけのなかでも生き抜いたのに、ここでクマのえじきになるのかと思うと、どうにもたまらなかった。
このとき、ふっとある考えが頭にひらめいた。
（もういっぺん、こいつをだましてやろう）
成哲は毛皮の上着を脱いで放り投げた。クマはそれをひょいと前足で受け止めた。
この最後のチャンスをのがしてはと、成哲は中腹のニレの大木めざして必死に駆け登った。
そして木に抱きつき、ほっとしてふり向いた。クマは上着をずたずたに引き裂いていた。食えないものだから、かんしゃくを起こしたのだろう。
成哲は急いで木に登った。クマはまたすごい勢いで走って来る。太い枝に座った成哲は、これで助かったとひと息ついた。
ところが、ニレの木に走りついたクマは、自分を見上げながら木にはい登って来るではないか。
（あー、今度こそおしまいだ）
成哲は頭がくらくらっとした。氷山や雪の中ですごすシロクマに、木登りができようとは思ってもみなかった。冬眠もせず、氷の穴の前や氷山などに座って、アザラシやイルカを取って食う動物としか考えていなかったのだ。
シロクマは激しく木を揺さぶりながら登って来る。もう絶体絶命だった。成哲のまぶたに、アル島で友達とカモメの卵を拾いながら楽しく遊んだことや、力をあわせて激しい
しけとたたかったこと、そしてこの島でのいろいろな出来事が、走馬灯のようによぎった。風呂敷包みを渡してくれながら、気をつけて行っておいでと見送ってくれた母の面影も浮かんだ。
（こんなところで犬死にするなんて・・・）
たった14歳で無人島に流されて来て、クマのえじきになるのかと思うと、くやし涙がこみ上げた。いくら木を見まわしてもいま座っている枝よりよいところはなかった。『お日さまとお月さま』という童話に出てくる兄妹は、空からおりて来た綱をつたって天上界に登ったというが、そんな綱がおりて来たら、どんなにいいだろうか。
シロクマは足もとまで登って来た。いまに、丸太ん棒のような前足で襲いかかって来るだろう。
（どうせ死ぬなら、あいつを道づれにしてやろう）
とっさにこう決心したものの、素手でどうたたかったものかと迷った。一瞬成哲は、腰の斧に気がついた。
（そうだ。これでぶった切ってやろう）
成哲は、とぎすました斧を抜き取って構えた。毒々しいクマの目と、ぎらぎら光る成哲の目がかちあった。
かれは、のそのそとはい登って来るシロクマをにらみながら、脳天をたたき割ってやろうと思った。しかし刃が突き刺さって抜けなかったら大変なことになる。ではどこを・・・。そのとき、徳善から聞いたクマ狩りの話が頭をかすめた。
クマの前足がかかとの下にのびたとき、足の甲をめがけて、力いっぱい斧を打ち下ろした。指を切り落とされたクマは、首をのけぞらせて悲鳴をあげた。しかし逃げようとはせず、今度は別の前足を突きだした。その足にも斧が打ちおろされた。シロクマは悲鳴をあげて木から落ちた。血がどくどく流れる前足を見やっては吠え立てていたクマが、また木にとりついた。
「よし、来るなら来い」
成哲は目をぎらぎらさせてつぶやいた。いつのまにか恐怖心はけしとんで、いくらでも勝てるという自信がわいてきた。
クマは血の流れる足で、死に物狂いにはい登って来るが、動作はひどくにぶかった。
手につばをつけて斧の柄をかたく握りしめた成哲は、今度こそ息の根を止めてやろうと待ち構えた。
シロクマがさっき足をやられたところまで登って来た。成哲はもっと近づくのを落ちついて待った。クマは前足で成哲をたたきのめそうとしたようだったが、木から落ちるのを恐れたらしく、その場に止まってうなり声をあげた。体がふらつくところを見ると、よほど痛むらしい。
成哲は斧を振りあげて、クマの頭に打ちおろした。クマは落ちまいと、必死に木にへばりついた。頭に突き刺さった斧をすばやく引き抜いて、今度は斧の峰でなぐりつけた。クマはさっきよりもっと大きい悲鳴をあげて、ドシンと木から落ちた。頭から真っ赤な血がほとばしりでた。シロクマは横倒しになったまま、谷間が揺れんばかりに吠えたてた。そして頭をもたげて成哲を見あげたり、血みどろの前足をながめたりしていたが、口を雪の中に突っこんでうめいた。その悲鳴もだんだん小さくなっていく。
このとき、子どもたちのガヤガヤ騒ぐ声が、風に運ばれて来た。
「おーい、成哲」
「成哲、どこにいるんだー」
成哲は声が近づいてくる方を見た。
クマはまだ生きている。危険だった。
「こっちへくるなあっ」
成哲の叫び声が聞こえなかったのか、子供たちの声はだんだんはっきりしてきた。茂漢が先頭に立って走って来る。
（ほら穴へ帰らないで泉谷へ行ってたんだな）
成哲は胸が熱くなった。
ニレの木の近くまで来た少年たちは、槍や棍棒をかざしてクマのそばに駆け寄った。
クマはすさまじいうなりをあげ、真っ赤な舌を出してよろよろと立ち上がった。
「危ない、逃げろっ」
木の上で成哲が叫んだが、誰も逃げようとしなかった。
クマはまたうずくまって、少年たちの隙をうかがった。熊を遠巻きにした少年たちの中から、茂漢が棍棒をかざしてクマにおどりかかり、力まかせに振りおろした。棍棒がポキンと折れた。クマはびくともしないで片足を持ちあげた。しかし、もう一方の足がひどく痛むらしく、すぐ足をおろしてしまった。昌植が腰に槍を突き刺したが、手ごたえがなかった。
「おーい、斧をよこせっ」
茂漢は成哲が投げ落とした斧を拾って、クマに近寄った。
「危ないっ」と誰かが叫んだが、それには耳もかさず、かれはクマの頭に斧をうちおろした。クマは悲鳴をあげて横ざまに倒れた。それを寄ってたかって棒で打ち、槍で突き刺した。
シロクマは口を雪に突っこんで、動かなくなった。それでも子どもたちは棒でめった打ちにした。
木から下りた成哲は緊張がゆるみ、気が遠くなって雪の上に倒れた。子供たちの騒ぐ声が夢のようにかすかに聞こえる。
（芸術、文芸作品―その他）
2020年の記事
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