長編小説「15少年物語」（32）
その日、成哲はのろしの当番だったので、山へ登った。家を出るときは寒くても風はなかったが、中腹にさしかかってから、急に西北の風が吹きはじめた。やがて吹雪が荒れ、視野がきかなくなった。烈風が成哲を海の向こうに吹き飛ばさんばかりに、たけり狂った。
木の枝がポキポキ音を立てて折れ、雪の上に転がった。シロクマ島の冬は気まぐれで荒あらしかった。友達思いの成哲は、自分が当番でよかったと思いながら、山頂に登りついた。のろし台の火は吹雪のなかでも燃えつづけ、もくもくと黒い煙をあげていた。
唯一の希望の灯台の前に立って、成哲は海のかなたに目をやった。空や海、島全体が吹雪に閉ざされてなにも見えなかったが、胸は希望にふくらんだ。そして真っ赤な炎と黒い煙をうれしそうに見あげながら、水平線の向こうから、やって来る助け船をえがきみた。
かれは、切ってあった丸木を数本火の上に積み重ね、燃えつく様子をみちたりた思いでながめてから、山をおりた。
火の当番の帰り道は愉快だった。つとめを果たしたという喜びも小さくないが、一面銀世界の坂道を駆けおりながら、こんもりと雪をかぶった小松を飛び越えて走ると、なにかの競技に出場したようで楽しかった。
かれはふと妙な声を聞きつけて立ち止まった。人間のうめき声だった。防寒帽を脱いで耳をすましたが、もううめき声は聞こえなかった。注意をこらして、うめき声がした方へ足を運んだ。風は相かわらず、すさまじくほえたてながら、雪をなぐりつけてくる。
成哲は斜面をかなり登ったが、それらしい気配はなかった。
（風の音を聞きちがえたのかな）
しかし、そのまま引き返す気になれず、なおも登りつづけた。
シラ力バがまばらに立っている高台に来たとき、大きなシラ力バの木の下の岩のあたりから、かすかな泣き声が聞こえた。立ち止まって耳をすますと、確かに人の泣き声だった。岩に近づくにつれて、泣き声はだんだんはっきりしてきたが、人影はなかった。
（猛獣に襲われたけものの悲鳴だろうか）
突然、シロクマの姿が目に浮かんで、背すじが冷たくなった。
もう一度耳をこらすと、それは子どもの泣き声だった。
成哲は急いで近づいた。岩の下に黒い服がのぞいている。駆け寄って雪をかき分けると、女の子が倒れていた。あわてて抱きおこした成哲は、あっと驚いた。
「茂英じゃないか。茂英、しっかりしろっ」
成哲は肩を揺すぶりながら叫んだ。茂英はうすく目をあけた。瞳が生気を失ってどんよりしていた。唇が動いたが、言葉にならず、また目をつぶって、成哲の胸に顔をうずめた。
「茂英、いったいどうしたんだ」
いくら揺すぶっても返事はなかった。手が氷のように冷たかった。
「もう少しで、凍え死にするところだったな」
成哲は新しい毛皮の上着を脱いで、茂英に着せてやり、背負って吹雪の山道を必死に駆けおりた。
（どんなことがあっても助けなければ）
成哲は気が気でなかった。
「茂英、しっかりしろ。しっかりするんだぞっ」
なんどもこうくりかえすかれのひたいに、玉のような汗がにじみで、いまにも息が切れそうだった。もう丸太小屋まで大した距離でないのに、ひどく遠く感じられた。
「おーい」
意地の悪い風は、かれの叫びを飲みこんだ。
ほどなく丸太小屋にたどりつくと、戸をあけろと怒鳴った。文基が戸をあけた。部屋には小さい子と女の子だけがいた。みなどこへ行ったのかと、問いただす気持のゆとりもなく、そそくさと部屋に入って、茂英を寝かせた。
茂英は気を失ったままだった。
「お前たち、足をもむんだ」
明玉とヤムジョンが茂英の足をもみ、成哲と勇日たちは手をもんだ。
「万洙らはどこへ行ったんだ」
成哲に聞かれて、明玉が驚いて聞き返した。
「じゃ、会わなかったの」
「誰にだい」
「成哲兄ちやんが帰って来ないから心配して、さっき迎えに行ったのよ。途中で行き違ったのね」
成哲は胸がじいんとなった。そんな友達と一緒にいることが、涙の出るほどうれしかった。吹雪のなかで苦労している仲間のことを思うとすぐ飛んで行きたかったが、茂英をほったらかして行くわけにいかなかった。
「とんだ苦労をさせるなあ」
成哲はさりげなく言って、茂英の手をもみつづけた。やがて手足にぬくもりが感じられ、呼吸が整ってきた。成哲ははじめてふうっと息をついた。このとき外でガヤガヤと話し声がし、みなが入って来た。
「やあ、いつ帰って来たんだ。よかった、よかった」
万洙は部屋に駆けこむなり、成哲を抱きしめた。その頬に涙がつたっていた。
「死んだんじゃないかと思って、どんなに気をもんだかしれないぞ」
万洙は成哲の肩をげんこつでたたいた。
「おれがどうして死ぬんだよ。それよりも茂英が危なかったんだ」
「えっ、茂英が」
「みな座れよ。いまに気がついたら、くわしい話をするだろう」
成哲は複雑な表情で言った。
「少し休めよ。おれたちがやるから」
俊浩や徳善、昌植らが茂英の手足をもみはじめた。
明玉はハチミツを湯にといて、茂英の口に入れてやった。
西側の窓に三日月の光がさしこんだ。2時間前までそれほど荒れ狂っていた吹雪がけろりとおさまり、空が晴れてきた。夜がだいぶ更けたころ、茂英が長い息を吐いてかすかに目をあけ、あたりを見まわした。
「あたしがどうしてここに・・・」
茂英はびっくりして、上半身を起こした。
「やっと気がついたな、じっとしているんだぜ」
成哲がこう言うと、明玉とヤ厶ジョンが、両脇から体を支えてやった。ほかの少年たちも、うれしそうに茂英を見守った。
茂英は無理に起き、両手で顔をおおって泣いた。成哲からなにか耳打ちされて、明玉とヤムジョンは台所へ行った。
（兄ちゃんはどうして、成哲兄ちゃんの気持がわからないんだろう。親類よりもっと親身に気をくばってくれてるのに）
こう思うと、涙がこぼれてならなかった。
「もう泣くなよ。おれたちがもっと早く面倒をみてやってたら、こんなことにはならなかっただろう。ところで、どうしてあんなところに倒れていたんだい」
茂英はのどがつまって答えられず、すすり泣くだけだった。
しばらくして、明玉とヤムジョンが粟で重湯を作って来た。
「さあ、食べるのよ」
明玉がおわんを前に置いて、さじを持たせようとしたが、茂英は受け取らなかった。友達を裏切って出て行ったのに、助けてくれたばかりか、大事な粟で重湯まで作ってくれたのだと思うと、さじを手にすることができなかったのだ。
「早く食べな。元気をつけなくちゃ」
成哲がすすめると、茂英は激しくしゃくりあげた。
「自分で食べられないんなら、あたしが口に入れてあげるわ」
明玉がにこにこしてさじを持たせた。ほかの子たちもしきりにすすめた。
遠慮しきれなくなった茂英は、重湯を全部食べた。
魚ばかり食ベていたのに、穀物をのどに通したせいか、力がわいてくるようだった。
「ねえ、どうしてそうなったのか、話してみなさいよ」
明玉にこう言われて、茂英はマッチが切れたので、火をつけにのろし台に行き、道に迷ったことを話した。
「そんなら山になんか行かないで、ここへ来ればいいじゃないか」
成哲がたしなめると、茂英はさびしそうに笑った。やがて茂英は、ふらふらしながら立ちあがろうとした。
「あんた、どうするつもりなの」
明玉が急いで支えてやった。
「兄ちゃんが心配してるから、帰らなくちゃ」
「なに言ってるのよ。真夜中なのに」
明玉とヤムジョンが、両方から手をつかんで座らせた。
「もう少しで夜が明けるから、朝帰ればいいじゃないか」
成哲やほかの子たちも引き止めるので、茂英はしかたなく座った。遠くでふくろうの鳴き声がした。
（芸術、文芸作品―その他）
2020年の記事
![[PukiWiki]](image/pukiwiki.png "[PukiWiki]")
