長編小説「15少年物語」（12）

長編小説「15少年物語」（12）

徳善峰で仲間と言い争ったとき、茂漢は泉さえ見つければ文句はないだろうという反発心から、深く考えもしないで谷間におりて行った。低木や雑草が.一面におい茂っているからには、きっと泉があるだろうと、方々探したが、泉らしいものは1つも目につかなかった。せめて雨水のたまったくぼみがあれば沸かして飲めるのに、それさえ見あたらないのだ。

かれは草むらをかき分けたり、岩の下をさぐったりしながら、この谷からあの谷へと移って行った。

夕暮れごろ、大きな岩かげのヤナギの茂みで、寝そべって反すうしているけだものを見かけた。うすい灰色の胴や枝状のつのがシカによく似ていた。そばには子も1匹いる。あのつのにやられたら、ひとたまりもなさそうだが、反すうしているのをみると猛獣とは思えなかった。やはりシカの一種だろうと考え、不意に飛びかかってつのをつかみ、ねじりたおしてやろうかと思った。だが、せっかくの獲物をへたしてとり逃がしてはと思い直し、茂みに隠れて様子をうかがった。

（あいつをつかまえれば、万事がうまくいくんだがな）

茂漢はごくりとなまつばを飲みこんだ。シカなら水がめにいっぱい乳をしぼれる。水筒1つの水くらい問題にもならないのだ。かれの目の前には、あたたかい乳をおいしそうに飲む仲間の顔が浮かんだ。またあれをしとめれば、3日は肉をたらふく食えるし、皮は冬着か敷物になる。願ってもない獲物じゃないか。しかしあれをどうやってつかまえるのだ。銃があればわけないんだがなあ。こんなことと知ったら、村を発つとき、船主の息子をそそのかして猟銃を持って来るんだったのに、とかれは残念がった。

みなのいるところへ戻って木槍でも持って来ようかと思ったが、やめた。そのあいだにシカがいなくなったらそれまでだし、みながぞろぞろついて来れば、感づかれて逃がす恐れもあった。それに、つかまえたところで、大して自分の手柄にならないかもしれないのだ。1人でつかまえて、自分を責めた者たちに見せびらかしてやりたかった。

かれはふと、腰にさげた斧に気がついた。

（いまごろ気がつくなんてまったく…。これであいつの頭をたたき割ってやろう）

茂漢は斧の刃にさわってみて、ほくそえんだ。 そして足音をしのばせて近づき、岩かげに身を伏せた。岩をまわれば数歩で頭に命中できる。

（あいつも鈍感だな）

茂漢は両手につばをつけて、斧を握り直した。すると、寝そべっていたシカが、急に前足を立てて立ちあがった。

茂漢ははっとした。

（感づかれたのか）

いますぐ襲ったものかどうか迷っていると、シカは茂漢には気がつかなかったとみえ、口で子ジ力を突っついた。子ジ力はぱっとはね起きた。

息を殺して見守っていると、母ジ力はのんびりと草をはみ、子ジ力はあおむけになって、乳を飲みはじめた。

（正真正銘のシカだ）

茂漢はにんまりと笑って、トンボを取るときのように、そろそろと近づいて行った。

あと4、5歩というところで、草をはんでいたシカが、さっと頭をもたげてふり返った。茂漢はここぞとばかり、頭をめがけて斧を打ちおろした。そのとたん、シカが驚いて走りだしたので斧は命中せず、つのが1本折れただけだった。

茂漢は逃げるシカに飛びかかって、力まかせに斧をうちおろした。今度は刃が抜けて、ヤナギの茂みに飛んでいった。

あわを食ったシカは、残りのつのをそり返らせて一目散に逃げた。

茂漢は素手のまま必死になって追いかけた。子ジカを気づかってか、母ジ力は急に立ち止まって妙な鳴き声を立てた。

茂漢はそのすきに飛びついて、つのをつかんだものの、力にあまってずるずると引きずられた。そしてシ力の背中に飛び乗るつもりが、飛びすぎて背越しに落ち、つのを放してしまった。

シカは全速力で雑木林に逃げこんだ。茂漢は意地になって追いかけた。シカは山をかけ登った。山はしだいに険しくなり、森も深くなった。みすみす逃がしてはと、息切れがし足が棒のようになったが、あきらめずに追いつづけた。シカはますますかれを引き離していった。でも茂漢は走るのをやめなかった。そして無我夢中で走っているうちに、倒木につまづいてもんどりをうった。すぐ起きあがったが、シカはもう遠くのやぶに駆けこんでいた。　茂漢はがっかりしてのろのろと歩いた。

（ちぇっ、おれの黒星だな）

茂漢は立ち止まって、ぼんやりとシカのうしろ姿を見送った。

シカはさっきと同じようにふり返って子ジ力を呼び、 ゆっくりやぶに姿を隠した。

子ジ力があとを追っていたのだ。

「小さくてもシカはシカだ」

こうひとりごちた茂漢は、今度こそはと意気ごんで走りだした。子ジ力は山の斜面を斜めに駆け登って行った。茂漢は必死になってあとを追った。もう少し速力を出せば追いつけそうだったが、思うように走れず、速度は落ちるばかりだった。しかし子ジ力の足どりは 少しも変わらなかった。茂漢はこぶしくらいの石を拾って投げつけたが、石はカラマツにあたってはねかえり、谷底に落ちていった。子ジ力はますます遠ざかり、 かくれんぼでもするように、木立に見えがくれしながら、茂漢をいらだたせた。

（母ちやんとしあわせに暮らしな。おれは降参したよ）

茂漢は息をはずませて草むらに座りこみ、シカが消え去った木立をぼんやりながめた。　はじめから子ジ力をねらえば簡単だったのに、欲を出したばかりに、2匹とも逃がしてしまったと思うと、しゃくでたまらなかった。少し落ち着いてくると、手の甲や腕、顔や首がひりひりするのを感じた。木の枝で引っかいたり、とげに刺されたりして、何か所も血が流れている。上着やズボンもところどころ破れていた。

「なんて情ないざまなんだろう」

茂漢は四方を見まわしたが、自分がいまどこにいるのか、まるで見当がつかなかった。　あまり遠くへ来すぎたので、仲間がいる場所の方角さえ分からないのだ。

「大変なことになったぞ」

シカを逃かしたくやしさよりも、仲間のところにまっすぐ帰れるかどうか心もとなくて、あわてて引き返した。一度来た道のようでもあり、はじめての道のようでもあった。かれは、うす暗い原始林を力なく歩いた。 ひっそりと静まりかえって、ときどき小鳥のさえずりや虫のすだく声が聞こえるだけだった。晴れていれば方角をつかめもしようが、あいにくひと雨降りそうな空模様だった。茂漢は急に恐ろしくなった。いまにも暗がりから、トラかオオカミがおどりでて来そうな気がする。枯れ草を踏む音も無気味に聞こえ、音がしないよう注意して歩いた。どこかで妙な音がしたので、びくっとしてふり向くと、険しいがけのあたりをコウモリが飛んでいた。なにげなくがけの下に目をやると、かなり大きい黒い穴が見えた。茂漢の顔がぱっと輝いた。あれはほら穴じゃないのか。駆け寄って中をのぞくと、確かにほら穴だった。茂漢はこおどりした。

「本物のほら穴だ。ほら穴のないわけがないよ」

かれはこうつぶやきながら、胸をわくわくさせて中へ入った。

はじめのうちは暗かったが、目が慣れてくると、物の見分けがついた。6畳ぐらいの広さで、天井が大人の背丈ほどあり、地面はごつごつした岩盤だった。

「もう少し平たくて広かったらなあ。でもぜいたくなことは言っていられない。これぐらいなら上等だ」

茂漢は自分をなぐさめた。

そして枯れ葉をかき集めてほら穴の真ん中に敷き、ごろりと寝転んでみた。オンドル部屋以上に楽な感じだった。

（あいつら、大口をたたきやがって、どんな顔するか見ものだ。いくらいばっていても、こんなほら穴は.探せっこないから、おれにかぶとを脱ぐほかないだろう。さっきのシカまでつかまえていたら、それこそ申し分ないんだけど・・・。そうだ、今度は泉を見つけよう）

こんなことを考えているうちに、茂漢は眠りに落ちていった。

（芸術）